私は30代前半、いわゆるバリキャリに見えるだろうキャリアを歩んできました。
以前のブログでも書きましたが、社会人になってから公認会計士の試験勉強を開始し、働きながら試験に合格しました(※1年弱専念した期間もあります)
自分にとって何が大事なのか?しっかり考える間もなく、働いて勉強して、働いて…
気づいたら社会人歴10年超えていたんですよね💦
自分はどんな人生にしたかったか?
しっかり考えたのっていつなんだろう?皆さん考えてますか…?
意外とがっつり考えたり立ち止まることって、大人になるとない気がします。
幼稚園のころの夢:歯医者
→よく歯医者に行っていて、歯医者の先生がよくしてくれたんでしょうね^^;
良く通っていたので、歯医者さんの真似もをよくしていたし、歯医者になりたいなんて言っていたのを覚えています。
小学校のころの夢:医者
→これくらいから自分の考えなのか怪しいです笑
私は、地元の公立の小学校に通っていましたが、小2から塾にも通っていました。母がいわゆる教育ママで、遊んでばっかりで学校の勉強に追いついていけない私を心配して、早い段階から塾に入れたようです。
将来何になりたいか?って、確か小学校高学年くらいで学校で発表しなきゃいけなかったことがあって。
よくわからないけど、頭良くないとなれないし、医者だったらみんなも納得の夢だろう、みたいな感じでした。自分がなりたかったかというと、全く自分の夢ではなかったですね。
ただ、勉強に関しては理科、社会(地理)、算数は好きでした。
国語は本当に苦手でした。特に読解。全く文脈もわからないし、どうでもいいと思っていました(笑)
ちなみに、私は中学受験で大失敗しました。
A判定の出ていた第一志望校を3日間受験して、全滅したんです。
滑り止めでたまたま受けていた学校に進学しましたが、
子供なりにプライドズタボロでした…
中学校のころの夢:不明
→中高一貫の私立の学校に進学して、部活にいそしんでいました。
中2くらいまではガリ勉で真面目に英語とかやっていたのを覚えています。
中2の最後、確かごくせん(ドラマ)にハマり、そこでイケメンな俳優さんたちに心を打ちぬかれました。そのあとは勉強そっちのけで遊びまくってました。
ちょうどそのころ足を怪我して部活もできなくなり、穴を埋めたのがテレビのイケメンたちだったわけです(笑)
高校のころの夢:不明、とにかく現役で大学に入ること
→進学校だったこともあり、周りの友人たちが真剣に勉強を始めました。
そのころ私はイケメン俳優たち(JUNONボーイ)にドはまりし、そこからAAAにハマり…
あそこまでハマれるものがると、人って幸せだな~と今は思います(笑)
ちなみに、AAAは後藤ゆかりちゃんが大好きで、高校生だった私はファッションやメイクの影響をかなり受けました(笑)
ちょっとセクシーで辛すぎずかわいい感じが好きなのは、おそらくゆかりんの影響でしょう!笑
高3の秋まで現役でおっかけ&オタクだったので、勉強は全く真剣にやってなかったです。
高3夏に河合塾の夏期講習には仕方なく行き、秋から塾に通い始めました。
大学についても、特に何を学びたいがなくて。私の中では、明治大学がなんとなく好きだったんですよね。それくらいのところに行けたらいいな、くらいで明確な目標はなかったです。
意識高い友人たちがオープンキャンパスに行くから、一緒に行ったことはありました。忘れてしまったのかもしれないですが、早稲田だけは誰と行ったかも明確に覚えています。一緒に行った子は、京都大学、美容師の専門学校(非常に頭の良い子)、横浜市立大学にそれぞれ進学しました。
両親から、「浪人させるお金はないから、1つでも合格したらそこに進学してくれ」と言われて、センター利用含めて、13個出願しました。
もうよくわからないので、いろんな大学、学部を出しまくり、合格したところにご縁があると思おう!という感じで。あまり深く研究もしないまま受験しました。
補足:大学進学
見事にいくつか合格しました。
まずセンター利用の日本女子大に合格し、浪人しないで済むと思って、ホッと一安心!
入学手付金?のようなものを親が払ってくれました。(当時各大学30万)
そのあとはGマーチの合格発表。ここでとっても悩みました。
明治大学農学部、青山学院大学法学部、学習院大学(学部忘れた)
いろんな人に相談しました。
担任の先生は、青学の法学部は聞こえが良いじゃないか、と言い
クラスの前の座席の子は、学習院が実家から近いなら、学習院が楽だ、と言い
おじいちゃんも、学習院は女の子が通うなら聞こえが良い、と言い
当の私は、明治が好きだし農学部面白そうだから、明治にきめました(農学部はキャンパスが多くて、立地的に悩みましたが)
そして、受かったらラッキーと思って受けていた早稲田も、補欠合格していました。
補欠の最終合格発表の前に、Gマーチの入学手付金(?)の締め切りが来るので、
親に頼んで、明治大学農学部に支払ってもらいました。
そしてそして、早稲田の補欠合格発表の日。
覚えています。
電話で自動音声が流れるんですが、スピーカーモードにして両親と実家のダイニングで聞いていました。
自分の受験番号を入力すると、息する間もなく
「おめでとうございます。合格です。」
と流れたんです。もう大騒ぎでした。
あの時は、私の人生の最高に幸せな瞬間TOP3入りましたね(笑)
すぐに入学手付金(?)を入金して、サンフランシスコ行きのチケットを取って。
多分手続きしてすぐ旅行に行った気がします。
大学のころの夢:とにかく楽しむ、できれば20代で結婚したいかも?
お気づきの方もいると思いますが、明治が好きだったのに、早稲田に受かったら早稲田に進学を決めたんです。
小学校のころから、学歴社会、競争社会の中にいました。
早稲田に進学してたくさんの友人ができて、後悔はありません。
ただ、自分の中で偏差値脳が抜けてなかったです。
大人になってみて、もう少し自分が楽しいと思える(学問の内容)か、今後どんなことをしていきたいか、ということを真剣に考えてもよかったんじゃないか、とも思います。
そもそも、ランダムに13個も出願していたので、もっと高校のころに興味のあることを真剣に探すべきだったのですが^^;
大学生活はとても楽しかったです。
初めてのサークル、お酒、恋愛、アルバイト、友人との旅行、一人旅、青春18きっぷの旅、、
たくさん遊びました。
大学3年になると、周りが就活を始めます。その流れでなんとなく自分も就活しました。
でも、やりたいこともないし、、、
とにかく大学生活を謳歌することに徹してました。
就活は、確かリーマンショックの余波が日本にも来ていて就職は厳しいタイミングでした。私の時は、メガバンクが人気でした。
私は金融には全く興味がなかったので、メーカーの営業職を中心に受けてました。
大して対策もしないまま内定を複数頂いたのが、製薬業界の営業(MR)で
頂いた内定の中から、比較的評判が良かった会社を選びました。
新卒入社後の夢:自力で生きていくこと
新卒2年目に、父がガンでなくなりました。
非常に仲の良い家族だったのですが、最期の方は進行が速かったです。
私は典型的な末っ子気質でしたが、父が亡くなったことで
ああ、自分の後ろ盾がなくなったんだ
と思ったのを覚えています。
自分の力で生きていかないといけない、と強く思いました。
MRの仕事も一般的にお給料が良いといわれていましたし、良い職場でしたが、
父を亡くしてぽっかり空いた心の穴を埋める目標、圧倒的な強い強み(資格)、父の娘としてしっかりしなくちゃ
いろんな思いがあり
公認会計士資格の取得を目指しました。
公認会計士試験合格後の夢:結婚すること
→試験勉強をやり切り無事に合格した後は、女としてどうしたいか、という岐路にいました。
20代後半、大学時代のサークルの友人は私以外全員結婚していました😿
30過ぎると出会いも減ることがわかっていたので、必死にアプリを使って婚活をしていました。
アプリ婚活にあたり、自己分析、自己PRを作り込みました。
マッチングアプリでの出会いは、就職活動と一緒だと思っていたので(笑)
就活ばりに自己分析し、プロフィール(履歴書)を作り、メッセージを送り合い(書類選考)、初回デートに行き(一次面接)、うまくいけば次のデートに誘われ(二次面接)…
無事に最終面接も終わり内定(お付き合い)に至った方がいましたが、
コロナ渦でコミュニケーション不足により別れ。
その時30歳になる2日前。
絶望でした。
なお、この間、会計士としてバリバリ働いていました。
30を過ぎて、逆に力が抜けました。
もう、なるようになるか~なんて思いながら、
今は自分自身だけでできることに集中するしかない、と思っていました。
30過ぎてから、会計士としては王道のステップアップともいえる転職をしました。
婚約後の夢:自分たちが幸せな思いで日々過ごせること
→転職の間に、人生初の留学をしました。以前記事に書いた、ハワイです。
そこで人生観がかわりました。
小学校のころから競争社会、学歴社会を生き抜いてきた感覚はなかなか抜けなかったです。
自分は、そこまで頭が良いわけではないとわかっていました。
それでも、努力を続けてきたんです。
公認会計士という資格も、自分にとって苦手な論理的思考を身に着けられる、強化できる、と思って
苦手な分野だと分かったうえでの挑戦でした。
苦手でも好きならば、良かったんです。
でも、正直好きにもなれなかったです。
一緒に働いた人たちはみな優秀で、良い人が多かったです。
後は、資格を取って、自分なりに頑張れたじゃないか、よくやった、って自分を褒めてあげようと思えました。
中学受験での失敗が、人生に大きく傷を残していたんですよね。
こうして公認会計士試験という難関の試験を無事突破して、自分なりに受験へのやり残した気持ちが成仏できたんだと思います。
晴れて、前を向けるようになったんです。
あとは、ずっと二の次にしてきた、自分が幸せだと感じる感覚、これを取り戻したい。
社会人になってから働き詰めだったけれど、これからは自分のために時間を使いたいって思うようになったんです。
人生のパートナーを見つけるまでも大変でしたが、
これからは自分たちの幸せを第一に、無理をしすぎて自分を痛めつけることはやめようと今は思っています。
始めての立ち止まり
そんなわけで、仕事を辞めてできることを模索していますが、
私のあわただしい人生で初めて立ち止まるタイミングなんだなと思います。
20代で結婚したいってなんとなく思っていたので、タイミングは少しずれましたが、
おおむね、頑張って生きてきたんじゃないかって、最近は思います。
上を見続けて、もっと稼ごう、もっと良い会社に入ろう、とか思っていたときって、
なんだかずっと競争で、結構疲れてました。
今のパートナーと出会ってからも、幸せを追求したい自分が大きくなってきて、
でも、せっかく走り続けてきて王道のキャリアアップをしてきて、まだまだいけるんじゃないか、
って思う自分もいて、葛藤がありました。
仕事を辞めて立ち止まること、多分経験ある方もいるんじゃないかな、
こういう立ち止まる時間って、とっても貴重ですよね。
勇気のいることでもあります。
今の、この何もしない時間を、大事に過ごしたいと思います。
私にとっての立ち止まるタイミング
受験競争での積み残しを清算して、やっと前を向けたタイミングでした!